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福岡地方裁判所 昭和51年(ワ)503号 判決

福岡市博多区博多駅南五丁目二六番四九号

原告 松村廣こと 朴泰均

右訴訟代理人弁護士 岩城邦治

同 津田聡夫

東京都千代田区丸の内一丁目六番五号

被告 日本国有鉄道

右代表者総裁 高木文雄

右訴訟代理人弁護士 小柳正之

右訴訟代理人 中尾侃次

同 登根和幸

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原・被告間において昭和五一年四月二六日公害等調整委員会仲裁委員会のなした「申請人の本件請求を棄却する。」との仲裁判断はこれを取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者間の主張

一  請求原因

1  原告を申請人、被告を被申請人とする公調委昭和五〇年(仲)第一号損害賠償仲裁申請事件について、昭和五一年四月二六日公害等調整委員会仲裁委員会(以下、仲裁委員会という。)は請求の趣旨1記載の仲裁判断をなし、そのころ公害紛争処理法四一条、民訴法七九九条二項所定の手続を了した。

2  ところが、本件仲裁判断には、次のとおり取消事由が存在するから、取消されるべきである。

(一) 本件仲裁手続において、当事者の審尋がなされていない。

もっとも、昭和五一年二月一四日午前一〇時三〇分より、公害等調整委員会仲裁室において、第一回仲裁期日が開かれ、「仲裁(審尋)調書」が作成され、同日、原告より仲裁申請書、同年二月二日付申立書、同年二月九日付抗弁書、同年二月一四日付抗弁書(2)が、被告より答弁書がそれぞれ提出されている。

しかし、原告は右期日において、長期にわたる紛争によっても解決し得なかった問題について、仲裁委員が一言も質問を発せず、そのため自己の意見を陳述する機会はまったく与えられなかったうえ、当日はかぜのため高熱で意識ももうろうとしながらも上京し、慣れない場で何もわからぬまま結審となってしまったため、不満を抱き、再度仲裁委員会で意見を述べる機会を求めて三月二二日付申立書(二)及び同月二四日付申請変更申立書をそれぞれ提出した。

ところで、原告の右書面二通の提出は、その実質において審理の再開と審尋の申立てであるから、仲裁委員会は明確な採否を決すべき義務があるのに、これを怠り、審理の再開も審尋をなすこともなく、右各書面陳述の機会を奪ったのみか、右申請変更申立書の陳述もないのに、本件仲裁判断では右書面において申立てた申請の趣旨をそのまゝ理由中に記載するに至っては、仲裁委員会の手続きの違法はあまりにも重大である。

(二) 本件仲裁判断は、次の点で理由が付されていない違法がある。

(1) 原告は仲裁委員会に対し、被告の排出した廃水の混入した井戸水を飲用その他に使用した結果、諸種の身体的病変が起り、様々な生活被害が生じたことを主張したにもかゝわらず、同委員会は本件仲裁判断において、右廃水排出行為とS状結腸がんとの間の因果関係のみについて判断を下し、その余の被害との間の因果関係については触れていない。

(2) 仲裁委員会が本件仲裁判断で認定した事実は、いずれも法的因果関係の存在を示すものであるのに、被告の排出した廃水とS状結腸がんとの因果関係については、これを否定する反対事実を示しながら、その余の被害との間の因果関係の存在を疑わせるべき反対事実を何ら示すことなく、原告の請求をすべて棄却したのは、判断理由に不備があることが明らかである。

(3) もっとも、仲裁委員会は「しかしながら、申請人が被申請人の本件加害行為による被害として主張するS状結腸がんはもちろん、慢性肝炎、慢性胃腸炎等の内臓疾患の原因となりうるような種類、濃度の有害成分が井戸水に混入したことを認めることができるような証拠は存しない。」(以下、この部分を本件理由部分という。)と述べている。

しかしながら、本件理由部分の根本的欠陥は、被告の廃水の人体に対する高度の危険性に論及し、その危険性ある廃水が原告の井戸水に混入到達したことを認めながら、他方でそれと反する結論を導き出すよう努めている点にある。さらに、本件理由部分では「種類、濃度」を問題にしているが、本件仲裁判断理由中の他の箇所で述べられているように、被告の廃水中の諸物質は極めて多種多様で、その引き起こす疾患は広範囲であるうえ、その量は一日当り作業用水のみでも八〇トンに達している。またこれらの物質の慢性中毒が特に問題となるが、この慢性中毒の危険性を同委員会も指摘している。

したがって、仲裁委員会が本件理由部分中で、これらを判断する証拠がないかのように述べているが、すでに自ら判断をなしており、ここにも判断相互間の不一致、矛盾がある。

なお、本件理由部分では、S状結腸がん、慢性肝炎、慢性胃腸炎のみで、原告の主張する被害すべてを視点においていない欠陥がある。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(一)の事実のうち、原告主張の日時に第一回仲裁期日が開かれ、仲裁(審尋)調書が作成されたこと、右期日までに原・被告双方から原告主張の各書面が提出されたこと、原告が右期日後、原告主張の各書面を提出し、仲裁委員会において、右各書面を被告に送付したことは認めるが、その余は争う。

同2の(二)の事実のうち、仲裁委員会が本件理由部分の判断を示したことは認めるが、その余は争う。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因1の事実は当事者間で争いがない。

二  そこで、本件仲裁判断に取消事由が存するか否かについて判断する。

1  原告は、まず本件仲裁手続には、当事者を審尋しない違法があると主張する。

≪証拠省略≫によると、仲裁委員会が、本件仲裁判断に先立ち、昭和五一年二月一四日午前一〇時三〇分より、公害等調整委員会仲裁室において、原告並びに被告代理人二名出席のもとに、開いた第一回仲裁(審尋)期日において、原告は仲裁申請書、昭和五一年二月二日付申立書、同月九日付抗弁書、同月一四日付抗弁書(2)のとおり、被告代理人らは答弁書のとおりそれぞれの主張を陳述したうえ、当事者双方は他に主張、立証及び意見はない旨述べたため、仲裁委員長は本件審理を終結すると双方に述べたこと、ところがその後原告において、昭和五一年三月二二日付申立書(2)及び申請変更申立書を仲裁委員会に提出したため、被告に対し、直ちに右書面二通の写しを送付して反論の機会を与えたこと、ところで右の各書面のうち、前者は被告の態度を攻撃するとともに、当時朝日新聞紙上で報道された医療費等の値上げを引用しつつ迅速な判断を求める趣旨のもので、後者は主に物価上昇による損害賠償金の目減りのため申し立てを変更する旨述べるとともに迅速な判断を求める趣旨のものであり、いずれも責任に関する新たな主張はないこと、そして本件仲裁判断では、右書面を資料とし原告の請求金額を右申請変更申立書のとおりとしたことが認められる(なお、以上の事実には、当事者間に争いのない事実も一部含まれる。)。

ところで、仲裁委員会の行う審尋の方法については、法律上特別の制限がないから、同時審尋、各別審尋、口頭陳述、書面陳述のいずれも可能であると解されるところ、右事実関係のもとでは、本件の場合仲裁委員会が十分に当事者の審尋をしたことは明白であるから、原告の主張は理由がない。

2  原告は、次に本件仲裁判断には、理由が付されていない違法があると主張する。

≪証拠省略≫によると、本件仲裁手続において、原告は被告の排出した廃水が混入した井戸水を飲用その他に使用した結果、諸種の身体的病変が起り、様々な生活被害が生じたと主張したのに対し、被告は原告が医師木村健介から慢性肝炎、慢性胃腸炎の診断を受けたこと、九州中央病院で検診を受けた際、健康状態に異常を認めなかったこと、S状結腸がんにより開腹手術を受けたことを認めたほかは、その余の身体的変調や生活被害の発生を否認するとともに、右疾病と被告の廃水排出行為との間に因果関係はないと抗争したこと、そこで仲裁委員会は、原告の被害として、その主張のうち、慢性肝炎、慢性胃腸炎の診断を受けたこと及びS状結腸がんに罹患し、手術を受けたこと、術後もなお入院あるいは通院を繰り返しながら治療を続け、生活保護を受けながら生活していることを認定し、他方被告の排出した廃水には有害成分が含まれるが、人体に与える影響は摂取量によるとしたうえ、右廃水の有害成分の一部が井戸水に混入した可能性があると推定しながらも、廃水に含まれる有害成分に発がん性が認められないこと、井戸水の汚染度が極めて低いと推定されること、慢性肝炎、慢性胃腸炎と診断されながらも一ヶ月足らずのうちに施行した精密検査では肝臓の機能は正常値で、胃透視にも異常はなかったことを認定するとともに、原告の被害と被告の廃水との間の因果関係については、本件理由部分のように述べたことが認められる(なお、仲裁委員会が本件仲裁判断で本件理由部分を述べていることは当事者間に争いがない。)。

そうすると、仲裁委員会が、その認定した原告の被害のすべてと被告の廃水排出行為との因果関係につき理由を付したことは明らかであるから、原告の主張(1)及び(2)は採用しがたい。

また、原告は主張(3)において、仲裁委員会の本件理由部分の判断と他の理由中の判断とは矛盾があると主張するが、本件理由部分では、仲裁委員会の認定した被害発生の原因物質が何であるか確定すべき証拠並びに被告の廃水中に含まれる有害物質の濃度についての証拠がないと述べて、いわゆる被害発生の原因物質とそのメカニズムについて証明がないとしたものであるのに対し、原告主張のその他の理由部分は、いずれも被告による有害物質の排出並びにその汚染経路に関する理由で別段矛盾しない(なお、原告が仲裁委員会は、一方で被告の排出した有害物質によって慢性中毒が惹起されるとしながら、他方本件理由部分で、証拠はないと述べるのは矛盾であると主張する点についても、右慢性中毒の特性と原告の疾病との間に関連がないことからみても、矛盾はないものといえる。)から、右主張もまた採用の限りではない。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 美山和義 裁判官 江口寛志 裁判官 佐々木茂美)

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